調理の技~煮る
“蒸す”ことの延長線上には“茹でる”あるいは“煮る”といった調理方法が存在する。 水を介して直接食材を加熱するこの方法は、加圧しない限り100℃以上にならないという大きな特徴を持つ。
潮だまりに落下した隕石が水を沸騰させ、そこにあったものが可食状態になっていたのがヒントになってこの方法が生まれたとも言われている。 器がなかった時代は水や海水を引いた穴に焼け石を投げ込んで調理していたのではないか、と想像される。 そして器の製造技術の進歩がこの調理方法を飛躍的に一般化させるのだ。
水分を失うことななく、または補いながら加熱する調理技術は食材の保存方法や一次加工においても大きな変化をもたらし、またヒトの生活の安定や産業構造に効率という概念を植え付けることになる。 植物・農産物を乾燥させたり畜肉を塩蔵しても可食領域に戻すことが可能になると、そこには従来の塩分だけでなく香辛料や調味料といった工夫が派生する。
それまで生物としてのエネルギー摂取だった食事が快楽を目的とした行為に変化する、つまり文明から文化に変貌したのである。 もはやこの地球上では一部の途上国を除き、食事を生物学的な栄養補給行為ととらえる向きはないだろう。 だからこそその原点に立ち返った視点で見つめなおすことで、これからの“食”のあり方を検討し直すべきではないかと思うのである。 快楽目的の食が悪いと主張しているのではない。 筆者も原始に帰ろうなどとは夢にも思わない。
だがチベットやモンゴルの奥地では現在もなお羊の肉をコトコトと煮ては調味料をつけて食する、という伝統が面々と引き継がれている。 なぜならヒトのカラダが要求するものに対して過不足なく摂取する目的と、旨味や食感といった快楽を目的とする部分が絶妙なバランスによって成立しているからなのだ。
肥満やアレルギーなどのシンドロームが存在しない、快適な食環境を構築する指標としてどうであろうか。
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